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各世代の教育の違いが相性の問題を引き起こしてるかも


 人によって相性があると思うのですが、そこには思想なのか何なのか解らないのですが、兎に角「AさんはNG」とか「Bさんは意味不明」とかあります。

 某動画配信サイトで、その手の内容をたまたま目にした際に、これがシックリ来た内容だったので、ちょっと書いてみようかと思います。


 その方は現代社会は「国民教育社会」「市民教育社会」と「友愛民教育社会」の3層に分かれていて、そもそも通じないんじゃないかと言っていました。


「国民教育社会」は金持ちになることや偉い人になる事が幸せである社会で、あるいみの階級社会とも言えます。

主に明治時代から大正時代あたりの教育だそうです。


戦後は「市民教育社会」となりました。個性を重視していく教育で、偉くなりお金持ちになり、稼いだお金を使って幸せを探していく社会だそうです。その為、お金を稼ぐ「個性」を発揮する場面には、競争の原理が働きます。強い者が正義であり、強ければ誰でも上にエリートになれる社会です。それ故に市民教育社会では「個性と競争」が特徴です。


さて最近は「友愛民教育社会」になっています。簡単に言いますと市民教育で行き過ぎた競争社会から、独占したり、一つの場を占拠することよりも、緩く多く広い関係性を維持することを重要視する社会になりつつあります。ですので、恋愛して友達と遊ぶ時間が減るなら恋愛しないとか、逆に1人の人をみんなで愛するなんて社会なんだとか。


Aさんは世代的には「市民教育社会」ですが、祖父や祖母等の「家庭の教育」や「地域」の教育は恐らく前世代の影響を大きく受けていたら、国民教育世代的思想になります。

そうなるAさんが、若者に向かって「上位だから正しいんです」なんて言ったら、理解されないでしょう。

またBさんは市民教育だけで、「友愛民教育」がゼロの場合は競争意識が凄すぎて、今の若者が友愛民的ならば解できないでしょう。


もしかしたら油と水と石を混ぜて1つの液体にしてくださいと言っているのと、同じかもしれません。


あいつらは理解できないではなく、我々は各自が多少教育内容に歩み寄りが必要なんではないかなと最近思う次第です。


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